全技協の沿革
- 損害保険会社は自動車事故による保険金の支払に際して、支払額の適正を期するため専門技術家の知識経験を活用して、損害の調査に当らせていました。
昭和25年に始まるこれらの人々を自動車車両損害鑑定人(以下鑑定人と いう)と称し、自動車保険料率算定会(現在の損害保険料率算出機構)の試験に合格しなければなりませんでした。
- 昭和30年代の半ばから、モータリゼイションの伸長と共に自動車保険事故も著しく増加し、損保各社は上記鑑定人の他に、独自に調査人と呼ばれる損害調査の担当者を育成するようになりました。
- 昭和50年4月、保険会社は、契約者サービスと被害者保護を柱とする社会的要請に応えるため、従来の調査人、鑑定人制度を見直し、技術レベルの均一化と質的向上を目的に、新しいアジャスター制度を発足させました。日本損害保険協会(以下損保協会という)加盟の保険会社(当時20社)を代表する各部会によって運営することとなりました。
- 新しい制度によるアジャスターは、損害調査の依頼を受ける保険会社との関係によって、一社のみの仕事をする「専属技術アジャスター」と、二社以上の会社から依頼を受けて働く「乗合技術アジャスター」・・多くは従来の鑑定人・・との二種に区別されました。
- 上記経緯を受けて、昭和50年9月、新たに乗合技術アジャスターの全国組織として全国技術アジャスター協会(略称全技協)が設立され、アジャスター業務の改善進歩に資するための調査研究、情報の交換および資料の収集配付、あるいは各種研修会の開催、後継者の育成などを目的として、相互の資質の向上と連携強化を図ることとなりました。
- 全技協は、令和4年8月1日をもって法人格を「一般社団法人 全国技術アジャスター協会」といたしました。
安全装置の普及や自動運転技術の開発など自動車の進化の中、自動車保険に関する分野での調査確認業務において、これまで以上に高度な専門性が求められるようになっております。日々技術力の向上に努め、常に社会に貢献できる組織として成長をして参ります。
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